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Interview / クローズアップ東京人

Vol.1

「両手の会(りょうてのかい)」創始者、医師

井上 肇さん

2023.10.27

Profile

井上 肇(いのうえはじめ)

1933年東京都世田谷区成城生まれ。戦時下の小学校時代を送る。1962年東京大学医学部整形外科教室に入局。1968年医学博士号取得。イタリア政府留学生として、ボローニャ大学にて「成人股関節疾患」の研究に従事。1970年都立大塚病院整形外科医長。1972年東京都海外研修員として、米国・スウェーデン・イタリアにて「リハビリテーションと老人問題」を研究。1973年、聖路加国際病院(現・聖路加国際大学)に移籍し、整形外科・リハビリテーション科担当医長を経て部長に。現在、聖路加国際病院整形外科名誉医長。病院医時代に、住まいがある東京・目白に下落合整形外科診療所を開業し、現在も当所にて診療を行う。1996年に「左手の会」を発足させ、2016年に「両手の会(Ryote no Kai)」を創設。2020年に著書「左手で字を書けば脳がめざめる」<冬樹舎(とうじゅしゃ)刊>を上梓。両手使いを広める活動を行っている。

「左手で字を書けば脳がめざめる」
(井上肇著)冬樹舎(とうじゅしゃ)刊

両手で字が書ける両手使い者を育成すれば、多くの眠っていた脳が目覚め、日本に新しい文化が生まれることが予想されます。

長年、東京で整形外科医を務めてきた井上肇さんは、一人でも多くの人が、Successful Aging を享受できるようにと、2016年にボランティアで「両手の会(Ryote no Kai:Both Hands Association )」を立ち上げました。活動の中心は、左利きの人は右手で、右利きの人は左手で字を書けるようにする両手書字の訓練。両手使いになることは、認知症予防を始め多くの効用があると期待されます。「クローズアップ東京人」第1回は、両手の会創始者・井上肇医師へのインタビューです。

両手使い者を増やすことが、日本の医療財政救助の一助となる。

── 両手の会は、具体的にどんな活動をする会なのでしょうか。まず、その活動内容を教えてください。

井上肇氏(以下、「井上」):両手の会の構想は30年ほど前からあり、1996年に、当時勤務していた聖路加病院で、病院スタッフや患者さんに呼びかけて始めた「左手の会」というサークル活動が、両手の会の前身です。その後、2016年に創立した「両手の会」では、毎回、私が、テーマを変えて健康への意識改革のためのお話しをして、その後に参加者全員が、非利き手で食事をして、非利き手書字の訓練をします。次の会までの1カ月間には、「非利き手で40字日記を書く」という宿題を出します。日記には、その日の天候、事件、食事の内容などを書きます。1日を思い出して短い日記を書けば、自分の老化度を確かめることもできます。それに、毎日、日記を書いていると、目に見えて非利き手書字がうまくなるのもわかります。もう一つの宿題は、プレゼンテーションの義務付けです。プレゼンテーションのタイトルを決めて、資料を探して、パワーポイントというソフトを使用して編集するまでを行ってもらいます。プレゼンは次の会で、発表してもらいます。

1996年11月、聖路加病院で開催された第1回「左手の会」。この会が礎となり、2016年に「両手の会」が創設された。

── なかなかハードな宿題ですね(笑)。井上さんは、整形外科医というお仕事を通して、両手の会をたちあげたそうですが、どんなきっかけだったのでしょうか?

井上:きっかけは高校の同窓会です。出席すると必ず私の前に、行列ができるんです。どの友人も、医師である私に、自分や肉親や友達の病気や身体の心配事を相談に来るわけです。しかし病気については体を診ないとプロの答えはできないですから、曖昧な答えにとどまらざるを得ません。とはいえ大きな不安をかかえる友人たちに、医師として何かしてあげられないかと考えたとき、健康や老後のことであれば相談に乗れるのではないか。どこかに場を設けて、彼らに、ボケ予防を含めたいわゆるサクセスフルエイジングの方法を伝えてあげようと思いついたのです。
もう一つのきっかけは、整形外科医として患者さんに接する中で、脳血管障害やケガなどで、利き手が使えなくなくなる人々を数多く診てきたことです。利き手が使えなくなって最も困るのが、字を書く、箸やスプーンを使って食事をするなど、昨日までできた日常生活が突然できなくなることです。そういった患者さんは、作業療法士などの指導の元で、非利き手を使えるようにするトレーニング(利き手変換訓練)を開始することもありますが、そう簡単にはマスターはできない。年齢が高い患者さんほど、途中で訓練を諦めて、字も書けず、食事も一人ではできない要介護者になってしまうことも多いのです。そこで「元気なときに、非利き手も使えるようになって備えておけば、利き手が使えなくなったその日から反対の手が100%能力を発揮できる」と考えたのです。現代の治療法は、泳げない人が水の中に落ちるのを見て泳ぐ練習をさせているようなもの。最初から泳げるようにしておけばよいではないか、という発想です。
私の母校の成城学園には成城クラブというクラブハウスがありまして、そこで声をかけて会員を募り、毎月1回、両手の会を開催するようになりました。

── 水に落ちたカナズチ(泳げない人)に泳ぎを教えるのではなく、全員泳げるようにしておけばよい。同様に、全員が「両手使い」になっていればよい、という発想ですね。単純な方法ですが、だれも考えつきませんでした。

井上:だれもこの方法に気付けなかった理由は、発病しない限り適応されない「健康保険法」という日本の法律にあります。医師をはじめ治療者はこの法律の呪縛から抜け出せず、前例主義にしばられ、「鳥の目」で物を見ることをしませんでした。その結果が、110兆円の国家予算に対し国民医療費が43兆円、介護費11兆円というバランスです。世界に冠たる日本の国民皆保険制度は、今や財政破綻の危機にあります。特に、死亡前10年間の要支援要介護生活での医療費大量消費が大きな要因です。要支援要介護10年間の短縮は、喫緊の問題です。両手の会は、要介護になる3大原因の2つ、「認知症」と「脳血管障害」に介入することによって、この10年間の期間短縮を目指しています。元気なうちに両手使いになっておくことは、日本の医療財政危機救助の一助となる効果が期待されるのです。
両手の会には、3つのモットーがあります。それは、「やったことがない、だからやる」。「すべては元気なときに始めよう」。「備えよ。常に(Be prepared)」。たとえば、夫婦なら、お互いの仕事を交換することをすすめています。やったことがないお互いの仕事を元気なときにできるようにしておくと、いざというときに困らないからです。男性は料理・買い物・掃除・洗濯・近所付き合いなどを、女性は器具の修理や大工仕事などを行うわけです、両手書字も、いま元気なときに練習を始めることが大切です。

画家として活躍する奥さまの榊美代子さんと。井上医師の提案で夫婦の仕事を交換することも。

非利き手書字は、普段使われていない部分の脳を刺激するので、認知症予防にも効果的。

── ところで、だれでも、練習すれば非利き手で字を書けるようになるのでしょうか。

井上:手の麻痺や認知症がなく元気な人であれば、練習すれば書けるようになります。右手でカバンを持っている人に、「左手でもちあげて」と言えばすぐにできますが、右利きで字を書く人に、「左手で字を書いて」と言ってもすぐにはできません。手には内在筋という20ほどの細かい筋肉があり、それらがうまく協調した時に字が書けるのです。私の場合、右手で書く自分の字が固まるまでに20年かかりました。ということは、左手書字も時間がかかるはずです。利き手とは反対の脳の領域を、コツコツと長期に渡って刺激していくことが必要なのです。だから日記がいいのです。

井上医師の最初の頃に行った左手書字。練習は、線を引くこと、簡単な図形を書くことから始める。

── 書字以外に、非利き手をどのように使って生活していらっしゃいますか?

井上:私は、日常生活動作(ADL)で、なるべく左手を使うようにしています。ボタン掛け、お皿を洗う、歯磨き、食事など、常に左手使いを心がけています。会発足当時からの会員からは、日常生活で自然に両手使いができるようになった、毎日の非利き手日記が楽しくできるようになった、などの声が聞かれます。

── 両手で字が書ける、両手を使える人になることは、どんなメリットがあるのでしょうかか。生活面の変化、脳の活性化の観点からお話しください。

井上:非利き手で字が書けるようになると、箸使い、ボタン掛けなどの細かい動作も上手になります。右手が疲れたら左手を使うこともできます。左右の体のバランスがよくなり、歩く、立つ、座るなどの日常の動作がスムーズになったという声もよく聞かれます。
カナダの脳神経外科医ワイルダー・グレイヴス・ペンフィールド(1891-1976)が作成した有名な「ペンフィールドの脳地図」(下図)は、体の各部位の運動・知覚を、脳のどの場所がコントロールするかを表していますが、手と口が脳の大きな部分を占めていることがわかります。脳において手の中枢領域が頭抜けて大きいというこの事実は、文字を書く作業の難しさ、複雑さを物語っています。実際に使われている脳細胞はわずか5%といわれていますが、非利き手書字は、その未開発であった脳領域の細胞を刺激しますので、脳を活性化させ、ひいては認知症を予防することが期待されます。

ペンフィールドの脳地図。「手と口」をコントロールする場所が脳全体の約3分の2を占めている。『左手で字を書けば脳がめざめる』(井上肇著・冬樹舎刊)より。

豊かな現代で、真の豊かさを得るには、すぐれた選択眼を養うことが必須。

── 両手の会では、両手使いになるための訓練とともに、健康に関する知識を養うことを活動の大きな柱としていますね。健やかな老後を迎えるためには、よい知識を得ることが欠かせないということですね。

井上:近年、健康格差は広がるばかりですが、その大きな原因の一つが「豊かさ」です。「豊か」とは「選択肢が豊富」であることですが、それは、「すばらしい選択肢」が増えた同時に、「悪い選択肢」も増えたということでもあります。このような状況の中で、「健康」を含む真の豊かさを享受するために一番大切なのは「すぐれた選択眼」です。
たとえば食べ物。私が子どもの頃は、周囲には伝統的に安全な食べ物しかなく、親が食事を管理していました。しかし今はどうでしょう。ありとあらゆる食べ物が氾濫し、判断力のない子どもでもお金さえ払えば自動販売機で何でも手に入ります。このような環境で育つとどうしても健康意識が低下してしまいます。子どもは正しい選択眼は持ち得ませんから、大人が子どもに正しいものを選択してあげなげればなりません。悪いものを選んでしまうと不健康にさらされることになり、しだいに健康格差が生まれていくのです。
両手の会は、この「すぐれた選択眼」を養うことを目的としており、そのための意識・知識・技(技術)を身に着ける訓練と学習を行っています。その一部として両手使いがあります。

── 多くの可能性を秘めた「両手使い」を、日本全国に啓蒙・普及することは、大きな意義があります。今後どのように、両手使いを普及していこうと考えていらっしゃいますか?

井上:両手の会は、未だに僕のボランティアの域で開催していますので、今後は会を組織化し、「両手使い」になるためのカリキュラムを体系化し、全国に拠点を作って両手使いを育成していることが必要です。現在も都内で講演会を行っておりますし、教材として両手書字速習ドリルの作成、小学校に両手使い同好会を作る、病院に拠点作りを提案するなど、そのための準備が現在進行中です。若い人も含めなるべく多くの人に「両手使い」を体験していただきたいですね。このインタビューを読んだ方々も、お知り合いの方々に「両手使い」のことを教えてくださると大変うれしいです。
インドのある小学校では、1999年から全校生徒に両手書字を教えていて、両手書字教育の実践校として全世界から注目を浴びています。どの生徒も、右手と左手を使い、しかも異なった文字を同時に書く事ができるといい、両手書字が学習の助けになっているようです。夢は、「両手使い」を「技(わざ)」から、「新しい文化」に昇華させることです。全国民に両手使い文化が普及すれば、日本は今とはまったく違う国になるはずです。そこにはとてつもない未知のブレイクスルーが潜んでいるかもしれません。

インド北部マドーヤブラデシ州、Singrauli地区にある「Veena Vandini School」での両手書字訓練の様子。YouTube Shiv Shankar Kachhapチャンネルの動画より

苦難に会っても、自分だけではないと「容認」すると心が落ち着きます。

── 先生は90歳になられますが、今も、ご自分のクリニックや他の病院で診療を行い、リハビリテーション学校で整形外科の講義もされています。齢をとっても元気に仕事を続けられる秘訣は何でしょうか?

井上:私の友人でも、この年齢で仕事を続けているのは数人ですね。今も診察、講義で週4日は働いています。このクリニックは開業時から日曜診療ですので、37歳から今日まで日曜日に休んだことがありません。他の病院に移動する日は、1万歩も歩きます。仕事を続けていられる秘訣は、やはり「元気なこと」につきます。幸い、妻も元気で、現役の絵描きですので、お互いの仕事に没頭することができます。規則正しい生活と運動も大切で、私は7時に起きて、3食きちんと食べて11時には寝ます。バランスがとれた筋トレもしています。長生きなのは、私の父が102歳まで生きましたので、遺伝子のおかげもあります。たださすがに、そろそろ診療はやめようかなと考えています(笑)。

診察を行う井上医師(下落合整形外科診療所にて)。

── 趣味は、「蛙コレクション」と伺っていますが、なぜ蛙だったのですか? また90歳になって新たに始めてみたいことはありますか。

井上:1972年のアメリカ留学時に、家具付きアパートで、椅子の上に置いてあった蛙のぬいぐるみと目が合ってしまい、その子があまりにも頓狂で別れられなくなり、いただいて連れて帰りました。以来、集めたりいただいたりして、いろいろな蛙が集まりました。診療所にも庭にも、ふとしたところに蛙がいますので見つけてください(笑)。
始めたいのはピアノを習うことですね。小学校時代は戦時下で、楽器といえば軍隊ラッパと竹のフルートでしたので、ちゃんと音楽をやってみたいです。「やったことがない、だからやる」です(笑)。ピアノはまさに両手使いの楽器でもありますしね。

── 最後に、井上さんが、これまでの人生で、頼りにしている考え方や言葉を教えてください。

井上:齢をとって、いちばん大切なのは「容認」です。いやなことが起こると、多くの人は「なぜ自分だけが」と思います。そこを、「自分と同じような人はいくらでもいる」「自然の摂理なのだ」と考えて、容認するんです。そうすると、自律神経が安定し、悲しみや恐怖心が消えて心が落ちつきます。
好きな言葉は「正射必中(せいしゃひっちゅう)」です。これは弓道の言葉で、正しい姿勢で射れば、必ず当たるという意味です。弓矢と同様に、人生も、正しい姿勢で向かえばうまくいく。目先の損得を追うのではなく、まずは正しい方向性を定めて、そこへ向かっていくことが大切です。常日頃、この言葉を肝に銘じています。

井上肇さんからのメッセージビデオ

井上肇さんの東京さんぽ

東京・成城で生まれ育った井上医師は、若いころから大の旅行好きで、2度の世界一周、南イタリア・単独ヒッチハイク旅行、アメリカ・グレーハウンドバス旅行など、数々の個性的な旅もしてきました。お散歩も大好きで、「人のいないところで静かに風の音を聞くのが好き」なのだそう。お住まいと診療所がある東京・目白は奥さまの生まれ育った土地で、結婚後に移り住み約40年。「この辺はとても住みやすい。目白通り沿いには大きな公園があり、神田川が流れ、自然も豊か。有名な庭園、施設が連なっていて、恰好の散歩コースです」とのこと。おすすめのお散歩スポットも、大好きな目白通り沿いにあります。

文京区立目白台運動公園MAP

文京区の中では最大の面積を有する公園。故・田中角栄元総理の「目白御殿」の庭の一部が相続税として区に物納され、公園の土地の一部になっています。広い芝生スペース、多目的運動施設の他、原生林の生き残りを思わせる木陰広場があります。

文京区立肥後細川庭園MAP

運動公園の隣接地に、細川家の住まいだった松聲閣(しょうせいかく)、さらに下ると肥後細川庭園。目白台の台地(関口台地)の自然景観を生かした池泉回遊式庭園で、「ホテル椿山荘東京 庭園」や「関口芭蕉庵」が隣接。

東京カテドラル聖マリア大聖堂MAP

東京のカソリックの中心的な教会。建物は丹下健三設計。フランスにある聖地「ルルドの洞窟」のレプリカがあります。井上医師は、この前に座ってボーッとしていることもあるそうです。

取材・文・動画編集

Wakako

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井上肇医師とは、私が健康雑誌の編集者だった時に知り合って、とても長いお付き合い。ハンサムな容姿とやさしいお人柄は昔と変わりません。井上医師が主宰する「両手の会」のことを聞いて、「両手で字が書けるなんてカッコイイ!」と思いました。「やったことがない。だからやる」という両手の会のモットーに従って、私も、最近、左手書字の練習をスタート!両手使いになって、みんなに自慢したいな!

写真&動画撮影

M.Suematsu

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